湖雲寺道場

場所
  東京都千代田区二番町5−7 ジャパンプロテクションビル内2F

稽古日
毎週日曜日 午後4時20分~6時

参加費

1回500円

Class Time
Monday 16:20~18:00

Location
 JapanProtectionBuilding 2nd floor,  3-1-20 Nibancho Chiyoda-ku Tokyo

Fee

500yen/1practice

指導者 エリ・コーヘンの語る松濤館大島道場ジャパン

松濤館大島道場では、行事に参加すると、開催地がどこであろうと、そこには日本から訪れる空手家の姿があった。その顔ぶれは、渡部先生をはじめ主に大島先生の先輩方や、先生よりもう少し若手の空手家、そしてどこへ行っても常にお会いするのが小野先輩。
 だがどういうわけか、自らを大島先生の直弟子であると名乗る一団には、ついぞ出会うことがなかった。この事実はいつも私を悩ませ、この異常な事態をどうにかして正すことはできまいかとずっと考えていた。
1999年から2003年にかけて、15回ほど仕事で日本を訪れる機会があった。そうしているうちに、もし自分が日本で道場を開けば、この問題を解決する糸口となるのではないかと考えるようになった。

 2002年にマラガで行われたスペイン松濤館の20周年記念イベントで、私は小野さんに、長い間暖めていた自分のアイデアについて話し、そのサポートを打診した。これから先、毎月来日を決行し10-14日滞在する間に日本で指導を行いたいと考えていることを話し、自分がいない間は小野さんや他の高段者諸氏にご協力を仰げないものかと相談してみた。

すると小野さんは、こいつは夢でも見ているのかと言う表情で私の顔を見た。しかしその後また来日したある折に、道場として使用する場所を探す手伝いを頼んだところ、私の言葉が単なる思いつきではないことをようやく信じてもらえたらしい。土曜会の稽古後に小野さんは当時(2003年)の主将を呼び寄せ、彼に物件探しの手伝いを命じてくれた。
その時点で、のちに自分が駐日イスラエル大使に任命されるに至ったことは、私にとって全くの想定外であった。
だが、ビジネスでの出張機会を利用して、日本に大島道場を開くという私の計画は、その頃から実現にむけて着々と進められていったのである。

だから2004年1月に駐日大使着任が決まったとき、来日にあたって第1のミッションは、早急に道場開設の地を見つけることだった。有難いことに、日本の友人達から候補地としてのお申し出をいくつか頂いたのであるが、その中から土肥研一さんが紹介してくれた場所を選ぶことにした。土肥さんはこれを機に道場にも入門され、一年間ともに稽古した。

稽古開始は同年5月と決め、これに先立ち4月に道場開きを行うことにした。万事が決まると私はさっそく大島先生に電話を掛け、六本木に在る湖雲寺の本堂に道場を開くこととし、これに「湖雲寺松濤館大島道場」と名付けます、と先生にお伝えした。すると先生はあわててお尋ねになった。一体どうして「大島道場」と名乗るのかと。「先生の名を掲げることは、最初から決めておりました」と私。さらに、世の中には数余りあるほど松濤館を名乗る団体が蔓延り、それらの違いを正確には誰も区別できない中で、我が師の名を冠し本物たるを知らしめんと努めるのは、弟子として当然の行いであると主張した。
 
  私が言い終えると、先生は困ったようにこうおっしゃった。「だけど、お前さんがそうするというなら、私が道場開きを見届けないわけにいかないだろ」私はその言葉を聞くと、ひそかに会心の笑みを浮かべた。(電話越しだから、それを先生は知る由もない)そして、こう申し上げた。
「先生に御足労を求めるつもりは毛頭ありませんでしたが、お越しになると仰って下さるのであれば、大変光栄に存じます」

こうして先生は、まんまと私の思惑に乗せられ、はるばるカリフォルニアから道場のお披露目を見届けに来ざるを得なくなったというわけだ。当日は早稲田、慶應をはじめ、その他の空手関係団体から百名余りの空手家諸氏が駆けつけて下さった。そしていまだに、「あの時私も列席していたのですよ」と声を掛けてくださる方がある。

道場開設にあたり、小野さんは私との約束を見事に果たしてくれた。開設から一年間、早大空手部総監督と大学での体育実技講師を兼務のかたわら、自ら営む事業で多忙を極めるなかで事務局の立ち上げと運営を請けおい、私と一緒に湖雲寺での指導を続けてくれた。今からちょうど一年前には、先生に湖雲寺の昇級審査をご覧になって欲しいという私達の願いを受け、大島先生が再び湖雲寺を訪れて下さった。その際、黒帯全員の型を見て頂けることになり、一人ひとりがコメントを貰った。道場をあとにする前に先生は、最後に昇級審査に立ち会ったのは思い出せないほど昔のことだったと驚いてみせ、近年異例の要請を例外中の例外として聞き届けてしまった御自身を揶揄していらっしゃったが、この日は私たちにとっても、非常に感動的で興奮冷めやらぬ、まさに「特別な一日」となった。 湖雲寺道場はある意味とてもユニークな集団になったと思う。稽古時間の前半は親子で学ぶ人達が主体で、後半は成人のみの稽古だ。たまに両者が合同で稽古することもあるし、折に触れ、交流行事を企画して皆で楽しむ。その感覚はとても温かく、全体がひとつの家族のようになっている。
事務局を引き継いでから今日まで、開設以来の稽古生である濱岡洋一郎さんと手塚眞子さんが、指導の手伝いと道場運営の全てを取り仕切ってくれている。彼らがいなければ、今日まで道場を続け、発展させていくことはできなかったと心から感謝している。
湖雲寺松濤館大島道場生はすでに一度、サンタバーバラでのSKA(米国松濤館)50周年記念行事開催の折に、海外イベントへの参加を経験している。